”裏マップ”

全国盛り場裏マップ・ウラ社会”

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”西成””

ウラ社会の温室”西成””
「売春・博打・違法ドラッグがまかり通り、「ワケあり」の人たちが流れつく街。そこは・ヤクザ銀座・と呼ばれるほどの過密地帯である
厳密にいえば、西成という街はない。西成はあくまで大阪市の「区」 であり、その面積は合計7・35平方キロにもおよぶ。だが、一般に「ニシナリ」と言うとき、それは浪速区、阿倍野区、天王寺区と接する西成区の北東部、飛田新地やあいりん地区を包括するエリアを指す。この場所は昔からヤクザ銀座としても有名だ。いまでもニシナリにはたくさんの組や一家がある。実数で言えば、ミナミに事務所を置く組が多いだろうが、大阪の中で、なにげなく通りを歩いているだけで、これだけ頻繁にヤクザの看板が目に付く場所は他にない。ここにヤクザが多く棲んでいたのは、ニシナリが一種の治外法権エリアだったからである。有り体にいえばスラムということで、事実、ニシナリ一体は万国博覧会によって強制的に移転させられた被差別窮民・下層階級が形作った街なのだ。泥棒や詐欺師、犯罪者や逃亡者、革命家やテロリストなど、反社会的活動をするものが、この街の空気せ作り上げた。そのため、こここでは法律よりも力の秩序が重んじられ、ヤクザの存在意義が住民たちに認められているのだろう。また二シナリにはむき出しの欲望もあふれている。博突、女、違法ドラッグ。ニシナリーで買えないものはないと言われるほどで、それが半ば公然と売られているのだ。その代表格が前述の飛田で、日が暮れてからの大阪・飛田新地 (西成区山王三丁目一帯)は活気にあふれ、日本とは思えないほど別世界の妖しさを放っている。人出のピークは体感的に午後十時から十一時で、週末ともなれば往来がびっしり人で埋まるが、平日でも夕方を過ぎればそれなりの人出で、色町独特の喧躁を味わえるはずだ。「ちょっと、お兄ちゃん、お兄ちゃんって」「ほら、決めてぇな。こんな可愛い子やで」店先に座ったやり手ばばあ (呼び子。すべて中年の女性) の言葉に嘘はなく、振り返るとそこには絶世の美女が微笑んでいる。とくに青春通りと呼ばれる二つの筋、その周辺はレベルが高く、容姿の点なら日本一といっても差し支えない。ただし、飛田の飲食店 (という建前が法律からの逃げ口上である) にはヤクザの関与がまったくない。違法行為、または違法行為ギリギリの性風俗産業にヤクザが寄生しているのは全国的どこにでもある図式だろう。だが、こと飛田に限っては組合が強く、警察とがっちりタッグを組んでいるので、ヤクザが入れない。ヤクザ銀座と言われる西成だけに、思い違いをしている人は多いだろうが、飛田はヤクザから最も遠い、安全な売春エリアなのだ。おそらく、この点で飛田は、西成の特色同様、日本で唯一無二と言っていい。ただ、安定した西成の裏マーケットが大きく揺れ動いたこともある。事実、昨年末は、大阪・西成の覚せい剤マーケットがひどく混乱した。西成は覚せい剤という視点からみても特殊な街である。ここの覚せい剤マーケットは日本一と言い切れるほど大きく、たくさんの密売人がいるのだが、理由はそれだけではない。なにしろ、ここはドライブスルー感覚でシャプが買える日本唯一の場所だ。なんのアテもなく、ぶらり街を訪れて覚せい剤が買える街など、全国を見渡したって西成しかない。暗くなると往来に売人が立ち並び、車に向かっていっせいに指を上げる光景は異様だが、大阪では普通のこととして認知されている。「この辺をフラフラ走ってる車があったら、危ないから気い付けや。なんせ一刻も早くシャブ欲しゅうて見境なくなっとるから、急停車したり、いきなりUターンして危険なんや」(大阪のタクシ−の運転手)どれだけ取り締まりが厳しくても、「シャブといえばナリ (西成)」と広く知られており、毎日、全国各地からたくさんの客が集まってくる。あまりに有名すぎるため取り締まりも厳しく、売人によっては西成での取引を嫌がるが、どれだけ逮捕者がでても、売人たちは西成を離れられない。ここまでの認知度がある以上、この地から密売人が消え去ることはないだろう。混乱の発端は某組長の絶縁にあるという。この組長は大阪では知らぬ物のない実力派であり、地元・西成の覚せい剤売買でも大きな影響力を持っていたといわれる。たった一人の喪失--この組長が暴力団社会を去ったことで、これまでの秩序が一気に崩壊した。その結果、西成の覚せい剤マーケットがグチャグチャになったというのだ。「シャプがどうのこうのというわけとちゃうが、かなりの力のある人やったからな。もちろんヤクザの問では話題になっとるよ。売人たちか……。やっぱりあたふたしとるようや。年末はかき入れ時やが、こんなことではボン中たちも困るやろ」 (年末の大阪取材にて。大阪の暴力団幹部)絶縁処分が発表された直後は、東京の密売組織すら色めき立ったほどである。「俺たちも西成に行って一儲けするか」地元の組織が聞いたら大爆笑するしかない冗談すら聞かれるほどで、「ほかにも絶縁になった組長がいるらしい」 「パトロールも出てるという話だ」など様々な噂が飛び交ったほどである。大阪に出かけ、もし時間があるなら、是が非でも西成を訪れるべきだ。ここには日本の社会が抱える矛盾が、目に見える形で転がっている。
★西成はヤクザにとって旨味のある地域ではなくなったと言われるが、それでもこの地の独特の気風はいまも数多くのヤクザたちを引きつけてやまない----
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裏カジノバー

六本木の夜と闇・裏カジノバーのノウハウ”

【人脈が生き残りのカギ】大きいものといえばカジノバーである。六本木はもちろん赤坂などを中心に人気を呼んでいる。カジノバー自体は違法でも何でもない。ただし、それはチップを換金しないことが大前提である。換金すればそれは博打であり即逮捕となる。 実際、表通りできっちりと営業しているカジノバーはゲームセンターに毛の生えたようなものであり、遊ぶ楽しみはあってもギャンブルの楽しみはない。しかし、それはあくまでも表の話。かつてポーカーゲームが喫茶店から駆逐された後でマンション内に残ったように、裏カジノバーもきっちりと生き残っている。例えば、六本木交差点から麻布方面へと向かい、ある角を曲がった先にあるバーなどもそのひとつだ。地下にあるこのバーは内部が二重構造になっており、その奥はカジノになっている。現在は改装中とされ営業はしていないことになっているが、それも建前であり、改装中とはひとつのキーワードになっている。この店の本当のオーナーは元広域暴力団幹部で現在は実業家の肩書きを持っているQ。本人は否定するものの、複数の暴力団関係者の話を総合すると、名目上離脱はしているものの、実質幹部級いであるという。また、彼がオーナーであるカジノは六本木を中心にかなりの数が存在し、事実上、カジノバーを仕切る顔であるという。「俺が顔役だって。ふうん、そういうやつがいるのか。まあ、確かに手広くやってはいるけどね、別に俺を通さなければ商売できないわけじゃないよ。そりゃきっちりと換金するとなれば余所じゃできないだろうし、俺に面倒みてくれと言ってくるやつもおおいから、そう言う意味じゃ顔かもしれないけどな。換金なんてのは努力さえおしまなけりゃ難しくないんだけどな。方法? 教えられるわけないだろうが。前にやってた方法なら教えてやるけどな。うちの場合は口座作ってそこに入金する形にしてた。勝てばうちが入れる、負けたら客が入れる。それだけのことだよ。やらずぶったくりなんかしやがったら、きっちりと始末つける。まあ、そこができるかできないかの差だな。俺の履歴が知りたいのか。もうこの道長いからなあ、俺いくつだと思うよ。もう四十半ばだよ。ゲソつけてからだって二十年以上だろう。今はカタギだけどな。ポーカーゲームもずいぶんやったよ。・フルーツ (スロット系)も扱ったし、マンションでカジノやったこともあるな。その頃のノウハウも役にはたったけどな、赤坂でほら摘発されたカジノバーがあったじゃないか。あれは知り合いなんだけどな、あの前辺りからいい商売だなと始めたんだよ。一番最初は堂々と換金してたんだから今考えるとぞっとするよな。きっちりと店構えしてやってるとこはさっき言ったような口座使ったり、ロッカーの鍵渡してそこでやりとりしたりいろいろやったよ。でもな、それよりもサッカン (警察官) に渡すほうが早いんだよな。それでもばれるときはばれるんだけど、被害を最小限にできるじゃないか。あいつらだってギヤンプル好きなわけだしな」高級スーツに身を包み、アクセサリを光らせている姿はどうみても暴力団関係者なのだが、本人はカタギを強調する。実際、彼はカジノバーだけではなく、普通のバーやクラブも経営しているし、水商売の世界でも顔である。とは言ってもやはり背後にうっすらと浮かび上がる暴力のオーラが彼をより巨大な存在にしていることは否めない。「隠れてやってる店はまあそこそこあるけど、ここは客を限定してるから。誰でもいれるわけじゃない。上得意ばっかり集めてるんだよ。まあ、ある政治家も客のひとりでな、その関連で滅多なことじゃ手入れは食らわないんだよ。そういうルートをきっちりと作るのが大変なんだな。人脈だろ人脈。Sには会ったのか。あいつはシャプと売春じゃ有名だからな。こっち方面にも色気出した時期もあるみたいだけど、餅は餅屋でな、誰がやってもうまくいくわけじゃないんだ。特に博打は負けたやつのフォローが難しいんだよ。俺はノミ屋の経験もあるからさ。総オチ (全部外れ) した客にたれ込ませないってのが一番大事なんだよ。だからカジノの場合も同じで、あんまり負けすぎないようにチェックしてるし、端数は負けてやるのも常識だろう。その辺りの勘所ってのはもう天性みたいなもんでね。
これだけは教えてもダメだね。まあ、六本木や赤坂あたりでカジノバーをやって、しかも換金しようって店なら、俺に話を通すだろうよ。通さないとこはなぜか摘発されるっていう噂だしな(笑)。あがりはでかいよ。そりゃ博打だからな。千万単位なのは当たり前だよ。一日でな。だけど安全保障に使う金も安くないし、従業員だって口止め料も含まれてるし、万が一の摘発用の店長やオーナー役も必要だ。そいつらの危険科ってのも馬鹿にならないからな。長続きしないしさ。だけどまあ、億単位の金を動かしたいと思ったら博打は避けられないだろう。そりやドラッグだの売春だのも美味しいが、そこまではいきやしないよ。ドラッグとギャンブルってのは同じようなものだけど、はまることの恐さが違うからなあ。ギャンブルは儲かるっていう幻想があるからだろうな、
【顔役たちの様変わり】
実際に彼に話を通さずに店をやった人間の話を開くとより、彼の恐さ、存在の大きさが分かる。「もう二年くらい前ですかね。
カジノバーをやったんですが、Qさんのことは知らないわけじゃなかったけど、傘下にされちゃうのも叶わないから、とりあえずの挨拶はしたけど後は勝手にやったんですよ。景品買いシステムみたいにしてね。ええ、ぬいぐるみじゃないけど、まあ、そんなものを使ったんですよ。三カ月ぐらいしたらQさんから連絡があって、ノウハウ教えてやるからグループに入らないかって。うちはまあ何とかやってますから、と返事したら、頑張りなという返事だったんですけどね。それからすぐ嫌がらせの客がやってくるようになってね。十円でやらせろとか、女の従業員脅かしたりでね。警察呼ぶわけにもいかないし、困ったわけですよ。でも、警察来ましたけどね。摘発に。それで終わりですわ。店は潰されて、権利金も戻ってこないし。なんとか執行猶予ついて出てきたら、しっかりQさん系列の店になってましたからね」Qはこの話を否定する。彼はあくまでも自分の商売をしているだけで、ライバルとは商売で勝負するだけだと語っている。誤解されているのだとも言っていた。しかし、元従業員の話を聞いても、やはりQの巧妙な桐喝やライバル潰しの話が出てくる。一人や二人ではないのだから、どちらが真実かは自ずから分かると思う。「そういう連中は適当な与太こくんだよ。あんたも甘いからな、だまされるんだよ。いいか、俺はその筋で長年やってきたよ、確かに。だけど訣を分かって商売のほうに移ったんだ。そりや当時の兄弟分や舎弟はたくさんいる。だからってそういうのを使って嫌がらせするほど困っちゃいないよ。やり方が下手だから摘発されるんだよ」ドラッグそしてカジノ。その筋で顔と呼ばれる人間の話を聞くに、六本木の暗黒面は大きく変貌しているように感じられる。盛り場という側面から考えれば、水商売を仕切った人間こそが顔役のはずなのだが、バブル以降はカラオケや居酒屋が増えてしまい、ミカジメもめずらしくなっている。暴対法によって代紋を堂々と見せつけることもできなくなっていることも大きい。加えて外国人の著しい増加があげられる。
「結局、顔役の力が弱くなって数が増えたってことだろう」とはSの感想だ。確かに現在でも暴力団の支配力は厳然と存在するのだが、その及ぶ範囲が狭くなっている。ドラッグ流通にはほとんど手が及ばないと言われるし、外国人の売春も管理しきれていない。そうした隙間に別の顔役が誕生してきている。「昔は、この人に話を通しておけば大丈夫だというのがあったけど、今はそれはないんじゃないかな。ここだけのこととは思わないけど」六本木で二十年近く水商売をしている人間は言う。「ボクたちはずっとここで商売する気はあんまりないよ。だから支配するつもりもない。あともう少し稼いだら、ボクは国に帰るか、あるいは真面目な商売をするつもりだ。そしたら今やってる仕事は誰かに売り渡すよ。プッシャーや元締めの連中はみんなそうしてるしね、それが当たり前なんだ」Mのこの言葉こそが、六本木の錯綜を端的に示している。土地にこだわり、縄張りにこだわるからこその顔役であるという常識は彼らには通用しない。彼らは人的ネットワークを築き、それを商売にするが、決して支配しようとはしない。また、土地に対するこだわりもまったくない。
だからこそ複数の元締めたちが大きなバッティングを起こさないのだろう。仮に隣で別のプッシャーが商売していてもそれを呑める意識もほとんどない。美しい外人モデルとマッチョな黒人や白人が闊歩する街。クラブ、ハウスで狂奔し、カラオケハウスでストレスを発散する若者たちのいる街。この表の顔の裏側に息づく暗黒街としての六本木は互いにあまり干渉せず、自らの商売だけを大切にする顔役たちによって形作られている。そしてその 「顔」たちはある日突然、まったく別の「顔」になつていることも珍しくない。 夏原 武
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「投資事業組合」平成バブルの発信地”

六本木の夜と闇”「投資事業組合」

匿名によるレポート
■監査のない任意団体■ 
まずはライブドア事件で話題になった投資事業組合について触れていくことにしよう。この聞き慣れない存在は、粉飾決算に絡む企業買収に初め黒子として登場し、株価の吊り上げや株交換、そして資金環流においては立役者となって活躍している。
そもそも投資事業組合とは何なのだろう。ごく簡単に言えばファンド(基金)であり、出資者の金を集めて投資する組織と考えればいいだろう。では、なぜ組合という形式を取るのだろうか。その最大の理由は任意組織であるからだ。任意組織などというと堅苦しいが、要するに届け出義務や監査のない組織ということだ。企業のように法務局への届け出義務があれば、帳簿の監査も行われる。つまり、金の動きが明確でなくてはいけないことになる。ところが、民法上で言われる任意組合にはそうした義務がまったくない。株式売買に関する有価証券報告書の提出義務もないわけだから、何が行われているのか外部から伺い知ることが難しくなる。 任意組合そのものは決して怪しいものではない。例えばマンションの管理組合も、任意組合になる。組合費を徴収して運営されるというだけのことだが、その日的によっては脱法的にも使われるわけだ。ベンチャー企業への投資を主たる目的とするのが、問題になった投資事業組合の正体なのである。ここで混同してはいけないのが、投資事業有限責任組合である。こちらは中小企業ベンチャーファンド法に則って結成されるものであり、法務局への登記や監査法人による監査が義務づけられている。このふたつを混同してどちらも脱法的であるかのように説明している記事を見かけることがあるが、名前こそ似ていてもまったくの別物であることを頭に入れておいて欲しい。
さて、この投資事業組合は報告義務も監査もないため、金を動かす側にしてみると大きな財布として使うことも可能になる。なにしろ、組合には会社でいうところの議決権のようなものはないわけで、いったい誰が支配しているのかさえよく分からないことになる。出資額の多いものが実質的な支配者であろうとは推測できるのだが、会計上はそれも不明朗である。巨大なブラックボックス化していることも否定できない。 組合を設立しそこに金を集め、株を買い占め、企業を買収し売却していく。そこで発生した巨大な利益をそのままにしておけば課税対象になる。組合員という形の出資者に納税義務が生じるわけだが、そのままにしておく馬鹿はいない。収益を次の投資へと回していき、いつも金が動いている形にしていくのだ。また、ライブドアがやったように、金を使っての買収ではなく、株交換という形での買収も頻繁に行われている。ここ十年ほど、経済は市場原理で動いていると馬鹿な経済評論家やアナリストたちが喧伝し、政府までもが「市場を見ていかないと」などと言い出してきた結末がこれだ。市場というのは、単なるペーパーに会社の信用をつけた株券なる代物を売買して差益を生み出すマネーゲームに過ぎない。資本主義経済においては市場からの資金調達は大切なことではあるが、だからといって 「それが経済である」 と考えるのは大きな間違いだ。 評論家やアナリストたちは、自分たちの拠って立つ基盤が実体経済というよりも、マネーゲームであるから騒いでいるに過ぎない。だが、本当の経済というものは、消費によってしか動きはしないのだ。やや固い話が続いてしまったが、およそ投資事業組合というものの性質、そして、この怪物が暗躍する土壌は分かっていただけたことと思う。ライブドア事件で明るみに出たわけだが、この投資事業組合の本当の問題点はそんなものではない。日本の闇マネーの巨大な構成要素であるヤクザマネーもまた、ここに流れ込んでいるところにある。外国人が「ヤクザ (あるいはヤクザ的なもの) が日本経済をだめにしている」と、分かったような分からないような話を書いていたが、マフィアという見えざる政府が支配している母国の分析もろくにしないで何をいっているのかと感じる。日本のヤクザというものは、社会要素のひとつであり、分のわきまえ方は外国のそれとは一線を画している。
ただ、税収という国家の基本に反しているところと、集団による力でルールを曲げている実態は指弾されるべきだ。
■ヤクザマネーが蠢く■ 
すでに山口組は、数百の投資事業組合を持っているとする説もある。誰も検証したわけではないのだが、それに説得力を感じるのは集金力の巨大さ、そして課税徴収が不備であるがために、金の行方が見えないところにあるからだ。
六本木を中心に展開している各種ファンド関係者に話を聞いても、こと闇の勢力については口が堅い。ひとつには、命の心配もあるのだろうが、もうひとつはアンコ (仲間)になっているからだと思われる。そんな中で、数人が口を開いてくれた。まずは、中規模ファンドの実質的オーナーの話から。「ヤクザマネーの流入は間違いなくあります。いや、そんなことは私が言うまでもないですね、みんな知ってることでしょう? ただ、誤解されると困るんですけど、ヤクザマネーってどこまでを言うのかなと思うんですよ。ヤクザが関わっていればすべてヤクザマネーと警察は判断するかもしれませんけどね、今やまっとうな企業経営者の顔を持っているヤクザはたくさんいますからね。うちは巨額の利益を得るよりも、出資者に対して確実な配当を出すことを優先していますから、ちょっとでもブラックな匂いがしたら遠慮することにしています。驚くほど多額の資金提供の申し出もありますよ。十億? いやいや、一桁違いますね。それを得れば、それこそMファンドクラスのこともできるでしょうが、何の得がありますか。目立つことで得るものなんて小さなものですよ。だいたいファンドが目立つのは、それによってさらに金を集めたり、どこかと手を組むための下準備が多いんですよ。ホリエモンがやたらと目立つ行動を取っていたのを見ているとはっきりしますよね。プロ野球を買収するだの、競馬だの、電車だのと好きですよね、あいつらは。けれども、そういうことをすれば検察も財務省も目をつけますよ。あたりまえですよね。時間の問題だなと思っていた人ばかりですね、あの事件については。投資事業組合の中にはヤクザ系と言われているところは確かにありますね。どのくらいの数があるかは分かりません。そもそも組合が全部でいくつあるかなんて誰にも分からないんじゃないですか。届け出義務のない団体なんてどうやって数えるんですか?露骨なのは組合をつくって金を集めて、買収や出資をするんですが、いつのまにか組合が消えてしまって、買収先もさらに転売されていったりするケースですよね。最終的な利益はいったいどこに消えたのだろうって思いますよ。私の知り合いにもひとりいましたね。彼はヤクザじゃないんだけど、資金の筋は明らかにそっち系でしたからね。今は台湾か香港にいると思いますよ。 そういうやり方って一種のマネーロンダリングですよね。そういう使い方もできるっていうことですよ」金の行方が分からなくなってしまう、そんな組織が平然と存在する。こんなものが経済の根本であるなどと誰が言えるのだろう。市場経済、市場原理とやたらと喧伝されているが、その実態の一部はこんなものだ。 「ヤクザ系のファンド? そういう言い方はよくないと思うけどな。ベンチャーを育てるのは、市場の要求なんだろう?」とは、現役広域組織の幹部。「俺はもともとは、金融関係の人間なんだよ。あ? 街金? 違うよ、もっと一般的なとこだよ。銀行じゃないけど、それなりに名前の通ったとこだよ。その頃からヤクザと付き合いがあったんだ。とは行っても表向きは不動産であったり飲食業だったりするけどな。資金運用の相談を受けていくうちに、だんだんと深くなっていったんだ。その後、フロント企業を作ったわけだな。けどな、フロントに対してもいろいろとうるさいだろう。そんな時に、あるファンドの人間と再会してな。うん、そいつとは金融機関時代の知り合いなんだよ。で、そいつが上手に金を回すならフアンドがいいって言われたのがきっかけだな。そこで、調べていくと投資事業組合っていう便利な存在に行き着いたわけだな。こんな匿名的組織があって、しかも出資も株取引もできるなんてありがたいと思ったね。ただ、ライブドアの事件があってからは、ちっとうるさくなってきたけどな。そのファンドのやつ? 紹介してやってもいいよ。あいつはライブドアのことも知ってるっていってたからな。もちろん、ヤクザがらみのだよ。そこが聞きたいんだろ? 俺もある程度は知ってるから、下準備程度のことは教えてやれるけどな」 巨大な金が消えていくファンドがらみの闇。その一端が少しだけ垣間見えてきた。彼らの話のどこまでが本当なのか、疑わしい点もあるが、まずはその言い分をしっかりと聞いていこう。 夏原 武
         (つづく)
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””広島””

■仁義なき戦いの激戦地”広島””■

『仁義なき戦い』 によって全国的な知名度を持つ広島ヤクザには、激しい暴力性と過激な抗争というイメージが付きまとう。だが、詳細に調べていくと、それはあくまで戦後の話で、かつての広島のヤクザがことさらに過激だったというわけではないようだ。それは警察資料や郷土史を見ても明らかで、当時の資料を見ても、大きな抗争事件はほとんどおこっていない。それもそのはず、ここ広島は日本有数の軍都であり、もっとも権力の支配力の強い場所だったのである。権力による統制の強い地域ほど、アウトローの力は弱い。日清戦争時には大本営が置かれ、唯一帝国議会が開かれたことのあるこの地は、長い期間、軍隊の支配下に置かれてきた経緯を持っている。街の経済はつねに軍中心に発展し、物事のすべてが軍という支配者を中心に動いてきたため、そこにアウトローが入り込む余地は少なかったわけだ。
だが、その反面、現在に続く被差別部落解放運動の流れも見てもわかるように、広島は部落差別の激しい場所であり、差別と密接に関係していたヤクザが多数生まれ、軍続制の裏側で暗躍していたことは間違いないようである。たとえば、大正から昭和にかけて、広島一の侠客と呼ばれた渡辺長次郎は県下に揺るぎない勢力を保持しており、その侠名は西日本一帯に鳴り響いていた。ただし、当時も目立った抗争事件はなかったようで、地理的条件のために、抗争事件を自粛しようという空気が強かったらしい。戦前、戦中の広島裏社会にはそれなりの秩序とモラルがあって、いまでいう平和共存路線が保たれていたと考えられる。 それが一転するのは敗戦後、この地の覇者だった軍部が解体されたからだった。支配者が強力だっただけに、そこに生まれた真空地帯は未曾有のもので、戦後、広島には、暗黒時代を努贅させる無政府状態が訪れるのである。特に呉は日本有数の軍需産業を抱える特殊性が災いし、日本の敗戦により一瞬にして絶対的な支配者である海軍を失った町には、膨大な軍需物資が不完全な施設に山積みされることになった。その主なものはスクラップとメチルアルコールで、これらをめぐり全国各地から復員くずれ、チンピラ、詐欺師、窃盗団、愚連隊などが集まり、暴力事件が頻発したのだ。 全国各地から集まった魅魅魅魅たちと、山積する軍需物資を巡る利権争いは熾烈を極め、一攫千金を狙った殺人事件が頻発し、至る所で殺し合いが演じられた。これらの主役は主に一匹狼のアウトローだが、これだけ大きな利益を組織が見逃すはずもなく、ワルがワルを食う過程で、暴力性はますます増幅されていったようだ。喧嘩に強くなるためには経験を積むことが一番とされる。だとすれば、日常的に暴力事件が起こる中で育った広島ヤクザが、過激な暴力性を身につけたのも当然と言っていいかもしれない。これらの窃盗団は闇市を中心に闇物資の供給ルートを作り上げ、広島の闇市は中国地方でもっとも賑やかなものとなっていった。こういった動きは、隣接する広島市にも波及し、闇市に寄生するヤクザの勢力争いを加速させた。 そのうえ、広島にはヤクザの寄生する地盤が数多くあった。その根本は軍にかわって訪れた進駐軍である。
進駐軍は、街の繁華街を一気に括性化させる。戦時に禁止されていたダンスもまた進駐軍の上陸とともに解禁され、「終戦によるインフレとその嵐に乗じ、雨後の筍の如く目を出した (中略)キャバレー、ダンスホールより発達」『呉文化』(昭和二十五年第一巻第二号より抜粋。呉市文化団体連合会発行) するようになり、街の至る所にキャバレーやダンスホールが乱立するのだ。これらの多くは不良やヤクザたちの巣窟で、集客を見込んで売春婦も多数見られるようになった。これに食い込んだヤクザは、のちにヒロポンの密売などにも関わるようになり、その後の現代暴力団の基礎となっていったのである。また、進駐軍の存在は、武器の人手を容易にしたため、広島の抗争事件では早い段階から銃器が使用された。このことも広島ヤクザの暴力性を一気に高める要因といえる。こういった背景から、広島ヤクザの抗争は、次第に過激なものとなっていった。昭和二十年以降、呉、広島のヤクザ社会は、これらの複合的な利権争いが絡み合い、およそ二十五年の長きに渡る大抗争へと突入するのだ。 広島の抗争では、ヤクザの経済基盤が大きかったため、かつてのヤクザたちが持っていたロマンや美意識の介在する余地がない。ヤクザたちはお互いを憎悪し、利益のために激しい死闘を演じたのだ。証言者によると、当時の広島ヤクザ抗争は、「親分ほど殺される」と言われたという。いきなり王手という状況は、広島の抗争がそれだけ大きな利益争奪戦だったことを裏付ける。
これに加え、広島ヤクザのプライドの高さが、抗争をいっそう激しいものとした。自分と他人の命を軽視することで、彼らは社会からの疎外感を埋めようとしたのかもしれない。刺客が放たれているというのに、それをまったく気にせず街を歩く。もちろん、相手の襲撃を受ければ命はなく、一種馬鹿げているとしかいえないヤクザ的気性は、多くの命を奪い去ったのである。 そういった単純明快なヤクザが次々と殺されるなかで、用心深く謀略に長けた人間が生き残ったのは必然だった。戦後の復興期が過ぎると、広島ヤクザ社会は全盛期を迎えることになった。中国五県でも、昭和三十年の初頭からわずか五年の間に三百六十一団体、構成員数約一万三千人を数え、暴力常習者を含めるとその総数は二万人を越えるほどになったのである。大勢力は中小組織を吸収して系列下に収めながら、新たな資金源を求めて外へ外へと膨らんでいった。生存競争を勝ち残った親分たちに、生命の軽視といったヤクザのプライドがあるはずもなかった。 こうして、以後の広島ヤクザ抗争は、これまで以上の泥沼に陥ってしまう。こうして培われた暴力性の伝統は、末端組員同士の殺我現場で遺憾なく発揮され、過激抗争はまったくとどまるところを知らなかった。ここでも広島ヤクザは、生存競争に勝ち残るために、これまでのタブーをいち早く破った。広島県の覇権を握るために、県外勢力をバックにつけた経緯は、俗に 『代理戦争』と呼ばれるが、実質は広島の組織が自らの優位性のために招き入れたもので、こういった側面から見ても、なりふり構わず勝ちにいく姿勢は、戦後から一貫したものと言える。そのため、広島が続一され、広島ヤクザによる小規模な県外進出が見られるようになると、他府県のヤクザ団体は、その暴力性に脅威を感じたという。それは今に通じる強い広島の原型であり、今後もその勢いはまったく衰えそうにない。
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九州ヤクザの本場! 福岡

■九州ヤクザの本場 ”福岡 ”■

福岡市は九州ヤクザの最前線である。実際、このエリアには福岡県下にあるすべてのヤクザが進出しており、企業事務所まで含めれば、九州全土の団体がなんらかの拠点を持っていると言われる。それは福岡市が突出した経済基盤を持っているからだ。
「九州で商売しようと思ったら、やはり福岡市が拠点になる。大きな会社の支店、サービス業など、どの業種でも福岡市を無視することはできない」 (市内のサービス業支店長)そのため、以前から地元ヤクザは星の数ほどあって、彼らは血生臭い抗争事件を繰り返しながら福岡市のアンダーグラウンドで暗闘を続けてきた。そうした状況はいまも変わらず、ここではライバル同士が角突き合わせ、常に緊張感が漂っている。もともと九州各地の都市は、ヤクザ体感度が高い。福岡ほどの大都市でもそれは変わらず、中州などの盛り場では、容易にそれっぼい集団を発見できる。前日、中州を訪れた際は、非常招集がかかったのか、ヤクザたちの大群と遭遇した。取り締まりが激化した東京ではあまり見られなくなった光景で、なにやら映画を観ているような気分だった。日常的にライバルがぶつかり合う福岡市。しかし、そうした緊張感の中にありながら、実を言えば、福岡市ではあまり抗争事件がない。もちろん過去には血で血を洗う凄惨な事件もあったが、全国でも有数の激戦区で、多くの団体が群雄割拠しているわりに、現在ここではもめ事が少ないのである。「福岡に進出している団体は、それぞれ友好関係にあって、福岡の繁華街では業種、場所事にきっちりとした棲み分けができているらしい。ヤクザだから当然、出会い頭の喧嘩は起こるが、厳しい取り締まりのおかげでそれが長引くことは稀だ」 (警察関係者)この証言者が言うように、福岡市に限らず、九州における警察の取り締まりは過酷である。徹底的なヤクザの取り締まりは独自の捜査方法を生み出し、のちに「福岡方式」と呼ばれるようになった。最近では官民一体となって公共工事からヤクザ関係業者を締め出す枠組みが生まれ、九州全域で始動している。 新聞によると、これは七県警との合意書に基づいて暴力団の捜査情報を相互活用するというもので、もともとは国土交通省九州地方整備局(福岡市博多区) の取り組みだった。その後、一般に普及し、九州全土に広まるようになると、「九州方式」と呼ばれるようになったらしい。「九州整備局は、指名の対象になる『有資格業者』の暴力団との関係を照会。県警も捜査の過程で暴力団とのつながりが確認できれば、九州整備局に通報し、排除を要請するという。 九州整備局は、下請けもチェックし、元請けに排除を求めていく方針だ。問題になる交遊は、暴力団組員との会合や会食、ゴルフなど。二回以上で、建設工事やコンサルタント業務の指名が一年間、回避される。組員が役員だったり、経営参加したりすればもちろんだ」(中国新聞)福岡方式が功を奏したのか、福岡県全体における組員の総数は16年12月末現在、約2220人、準構成員は約1040人まで減少させた。また平成16年の暴力団員等の検挙人員は、九州管区内では2590人。これは前年比342人のマイナスだ。これだけみると、福岡市をはじめ九州ヤクザの活動が停滞しているようにみえる。その他の統計でも、その効果ははっきり現れているかもしれない。九州管内の過去10年間の検挙人員の移り変わりは以下の通り。
平成7年3753人平成8年3965人平成9年3186人平成10年3309人
平成11年−3398人平成12年2725人平成13年319人平成14年3316人
平成15年2932人平成16年2590人
検挙者がそのまま組織の活動を現すバロメーターではないが、十年前に比較して1000人ほども減少している。こうしてみると、ヤクザの検挙者数が減ったのは、新たな捜査方法に取り込んだ警察の取り締まりは斬新で、高い効果があったのだろう。だが、地元ヤクザはそうした見解を一蹴した。「福岡方式は我々からみれば、法を無視したやりたい放題の捜査。自分が責められるのは仕方ないが、警察は子供や家族にまで、平気で圧力をかけてくる。そのため、我々は警察との関係を断絶した。検挙者が少なくなっていったのは、捜査に協力しない組織が増えたからだ」(九州の独立組織幹部)実際、福岡方式には問題も多く、眉をひそめる一般市民もいる。極端にいえば、ヤクザを取り締まるなら行き過ぎもかまわないという強攻策だから、各地で無理が出るのはいたしかたない。こうした九州特有の風土の中、ヤクザの合従連衡が生まれたといったら言い過ぎか ※ その福岡市を地盤とする組織が三代目福博会である。もともと福岡市の地元勢力が集まった親睦的な組織だったが、その後、組織の一本化を図り、現在では四県に約三百三十人の組員がそれぞれの勢力範囲を死守りしている。多くの連合体が運営に支障をきたすように、福博連合会にも組織解散の危機が訪れたこともあったという。それでも最終的に加盟団体は組織の一本化に到達した。もはや福博会は連合会ではなくなったのだ。組員も組織力もピカイチで、四月に三代目体制となってから、さらに組員を増強している。組織名称を福博会に改称してからは、地元で確固たる勢力を築き、九州でも有数の実力組織として知られるようになっている。 その反面、福岡市は山口組の勢力が伝統的に強い。これは伊豆組など古くからの実力組織があるせいで、市内の勢力分布をみても山口組の割合はかなりのパーセンテージを占める。広域団体では、四代目工藤禽、道仁会、太州会などが続く。冒頭で書いたように、福岡県の指定暴力団の数は東京都の五団体に次ぐ多さだ。また今年は大牟田市に本拠を置く九州誠道会も旗揚げし、福岡市にも進出しているという。これらの組織間で火種はないのだろうか? 「九州はいまでも古い体質が残っている。数より喧嘩の時に命を賭ける人間がどれだけいるかで勝敗が決まるから、あまり数の勝負にはならない。それにどの団体も昔からの友好関係にある。山口組VS独立組織などという簡単な構図では説明できない」(九州に兄弟分を持つ関東広域団体の幹部)ただ、世代交代の波は九州ヤクザにも訪れている。道仁会が代目継承をめぐり、分裂抗争に見舞われたように、いったん火を噴けばとことん暴走する可能性はいつまでも消えない。

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長野””

■ 長野 ■

信州・長野には、日本でも有数の教育県というイメージがあった。オリンピックの開催や数々の観光地によって、全国に長野の姿が伝えられ、そのイメージはいっそう清廉なものとなったようだ。だが、美しい自然に囲まれ、清らかな印象の信州にも、もちろん暴力団はある。長野県の裏社会事情をみていくと、そこには日本の矛盾の縮図があるという。「ダブルスタンダードというなら長野ほどそれが露骨な土地はない。公共工事を巡る談合などまさに日本の悪しき習慣が根強く残っているし、よそ者を嫌う土地柄は、商売の新規参入を難しくしている。ヤクザに関してもそうで、ヤクザに対する圧力が強い反面、ヤクザを使おうとする企業も多い」(長野県の警察関係者)2000年、長野県世論調査協会が長野県内にある企業400社に行ったアンケートによると、「暴力団関係者からなんらかの接触を受けたり、あるいは暴力団関係でなにか困ることがある」と回答したのは26・6パーセントにのぼり、そのなかで「書籍や情報誌などの購読要求」がもっとも多かったという。続いて「寄付金・援助金など金銭の要求」で、これらの多数が、実際に暴力団に金を落としたとされる。一種独特の暴力団との距離感は、田中康夫前知事の選挙運動からも噴出した。2000年10月の知事選挙において、田中前知事の政治資金管理団体が、飯田市の暴力団組長・その息子から寄付を受けていたのだ。金額は20万円と少なく、個人の献金なので違法性はなかったが、これが議会で大きな問題になったことはいうまでもない。田中前知事に対し、暴力団を通じてスキャンダルを仕掛けたという見方もあり、どちらにしても他府県ではあまり聞かない騒動だったといえる。平成18年1月現在、長野県内の暴力団勢力は、41組織あって、構成員の総数はおよそ1060人。平成以降、目立った増減はなく、警察も横這い傾向と分析するが、六代目山口組だけが、一気に勢力を伸ばしている。なにしろ平成6年の時点で、山口組は県内暴力団の50・1パーセントを占めていたが、平成18年には73・6パーセントにまで、勢力を増やした。山口組勢は、どうやって一気に地盤を拡張したのだろう。「長野県には国粋会の有力団体があったが、それらが山口組の傘下となったため、統計をみると、一気に山口組の寡占化が進んだような印象を受ける」(全国紙記者)これに続くのは稲川会の10・4パーセントで、次は極東会の7・5パーセント。ついで住吉会の6・6パーセントとなり、その他組織が1・9パーセント存在する。対して暴力団の検挙状況をみると、傷害が20・1パーセントでなるほどだろうが、なんと窃盗で捕まった暴力団が14パーセントもいるのだ。これをみると「ヤクザは泥棒の上で乞食の下」という定理はすでに消滅したことが分かるだろう。覚せい剤も16・4パーセントと多く、2006年3月には、覚せい剤根絶を掲げ、ことある事にそれを喧伝する山口組弘道会の組員も逮捕された。駒ヶ根・長野中央・中野の3署が、組織犯罪対策課バックアップで摘発したこの事件は、携帯電話のサイトを使って覚せい剤を密売するという新手の手口で、同時に住吉会の傘下組織組員も逮捕されている。仮想空間での違法薬物売買だけに、組織を越えた連帯を築きあげたのだろうか、現代らしいその手口同様、強い印象を与える。続いて恐喝が5パーセント、詐欺が4パーセントで、その他の事件が39・9パーセントもあった。こうしてみると、前記した企業アンケートとあわせ、長野の暴力団がおおよそどういったシノギをしているのか推測できよう。抗争事件はほとんどないようで、実際、長野県下では、平成13年に東京で起きた対立抗争事件の余波で、銃撃事件がおきて以来、カチ込みすらもないという。各団体がシノギを削りながらも、互いに友好関係にあることが伺える。平成4年の暴力団対策法施行以来、長野県で出された中止命令は254件。飲食店へのミカジメ料の要求などが166件と、これは納得だが、その後に多いのが、組への加入強要、脱退妨害違反となった。これをうけて、長野県では離脱組員の就職斡旋に力を入れており、長野市にある県内暴力追放センターでは、平成3年の設立以降、組織を辞めた30人ほどの県民の就職を斡旋している。単に暴力団を取り締まるだけではなく、広く一般企業に向けた受け皿を作っていこうという動きは高く評価されるもので、センターの追跡調査ではそのうち20人がいまも勤務を続けていると判明した。ちなみに転職したのが2人、退職が3人、所在不明が4人、組に復帰したのは1人で、こうした斡旋がかなりの効果を上げているのは明らか。暴力団対策法では、組を抜けようとしている者を妨害しないよう、組側に求める中止命令 (行政命令)の条文がある。とはいえ、指が欠損していたり、入れ墨をしているといった場合には受け入れる企業にも抵抗感が強く、脱退者が就職するハードルは高い。外見上の特徴がなくても、元組員であることが就職後に発覚し、解雇された例もあるという。そうした状況を受け、センターでは、更生に協力する意識の高い会社を協賛企業(事業所を含む)として募集。就職希望者には、まず専門の相談者が面談し、意欲が本物と見極めれば、協賛企業を紹介する。支援は県内の警察、刑務所、経営者協会、保護観察所などの各種団体や機関の担当者で組織する「暴力団離脱者社会復帰対策協議会」が実施。協会の事務局を務めるセンターでは、更生への妨害行為にも目を光らせている。
協賛企業は現在、県内に35社あり、内訳では、建設・不動産業19社▽製造業7社▽運輸業4社▽産業廃棄物処理業1社などとなっている。「『まじめに働いています』 『おかげで助かりました』などと、センターに感謝の言葉を寄せる元組員もいるという」という記事を読むと、暴追センターは警察の天下り団体であり、その実態をみるとたわいのない業務しかしていない印象が拭えないが、中にはこうした例もあったのだ。暴力団対策が効果を上げ、大事件が起きないためか、こんなニュースが大きく報道されたこともあった。「伊那署は3日、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律違反で、辰野町伊那富在住の指定暴力団住吉会住吉一家向後睦会組員 (28)へ不当贈与要求行為に対する中止A命令を出した。調べによると同組員は2日、以前に交際していた上伊那郡の会社員女性(21)に対し、『30万円で手を切るヤクザがどこにいる』などと、手切れ金名目で金品の贈与を要求したもの」(2006年3月・伊那毎日新聞)長野ヤクザの恥をさらしともいうべき、思わず絶句のとんでも事件だが、こんな報道が二度とされないよう望みたい。
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神戸”

戦後のヤクザ史をリードする神戸”
いまや山口組の本処としてヤクザの聖域となっている観があるが、山口組以前にこの地を制した組織があり、その流れは神戸が国際港として開港したときから始まっていた


■ 神戸 ■

神戸に多くのヤクザが生まれたのは港があったからである。
今は見る影もないが、海運業は当時の経済を支える花形産業だったのだ。港には人の出入りが多く、物資と金が集まる。全国的にも港街では華やかな異国情緒の裏でヤクザたちの暗躍が見られた。 荷役業務や港に付随する色町の利権。それを巡って激しい勢力争いが繰り広げられたのだ。現在、社会の変化によってこうした構図は消滅したが、今もここには多くのヤクザがいる。 兵庫県下の暴力団は、平成三年度は3540人いたが、暴対法の施行によって一時減少した。のち、ほぼ三千人という数字で推移しており、平成十四年は3130人、平成十五年は3120人、平成十六年は3140人、平成十七年は少々増加し、3260人だ。組織といえば、やはり山口組が圧倒的に多い。なにしろ地元の裏観光名所になっている山口組本家をみても分かるように、ここは日本最大のヤクザ組織・山口組の本拠地なのである。平成十七年度、組員総数における山口組組員は94パーセント。この高率は検挙者における山口組組員の割合にもきっちり反映している。平成十三年には兵庫県下で年間1021人の逮捕者があったが、そのうち山口組は969人。以後、平成十四年には1142人中1078人、平成十五年は1207人中1148人、平成十六年には1354人中995人、平成十七年には1091人中1039人だ。いまやその大多数をしめる山口組。しかし、これほどの寡占化が進んだのはこの十年で、それまでの神戸にはたくさんのヤクザ組織があったのである。 近代神戸ヤクザの始祖の一人が、富永亀吉だった。富永は大阪のヤクザと密接な関係を保ちながら、港の利権を手中に収め、一帯に強力な地盤を築きあげたのだ。だが、富永の天下はあっけなく終わった。長田区五番町で中山組の刺客に殺害されたのだ。神戸の地図に突如として空白部分が生まれ、その覇権を巡って激しい攻防が開始された。戦いを制したのは富永の舎弟である石川恵造の舎弟分だった大島秀吉である。 大島はつぎつぎに反対分子を粛正しながらその強大な地盤を制圧し、圧倒的な力で神戸港を抑えていった。大島の器量が絶賛されたのは、配下を政界に送り利益団体の権益を保護させながら、表社会にも隠然たる影響力を持つようになったからだった。裏と表の顔を使い分け、「運河の親分」は同時に「神戸のドン」となっていく。大正から昭和にかけ神戸の街を牛耳り、あらゆる分野・産業に進出した。 大島の死後、地盤は実子が引き継いだが、経済的に何不自由のない大島の血族は、ヤクザ社会に対する野心も未練もなかったようだ。すぐに内乱が勃発し、あっけなく跡目は初代の若頭の手に渡ってしまう。その後大島組はヤクザ社会を切り捨てた大島家と決別し、大嶋組に名称変更。関西二十日会に加盟するなど活発な活動を見せたが、平成二年に解散した。 栄枯必衰の言葉通り、大島組が衰退すると同時に、台頭した組織が存在した。大島一門だった山口組と本多会である。山口組の初代である山口春吉は大島秀吉の盃を受けると海運業に従事していた労務者を集め山口組を結成。どちらかと言えば、博徒というよりも、内実は人足供給の頭に近かった。性格も木調で人情肌であり、野心もなかったようだった。 その山口組を堂々たるヤクザ組織へと発展させたのが実子の山口登である。登は野心に溢れ、また才気に満ちており、山口組を発展させるべく大勢力と対峠した。大島組の人間ではあるが、最初から山口組の一本化を意識していたようだ。登は実父から引き継いだ浪曲を手始めに興行界に進出し、山口組を徐々に変貌させていった。だが、生来の気の強さと野心が裏目に出、篭寅組の刺客に刺されその傷が元で死亡。山口組は指針を失ってしまう。
その立て直しに着手したのが山口組三代目の田岡一雄で、ついに日本一の規模を誇る組織にまで成長させたことはご存じの通りだ。 もう一方の雄である本多会初代の本多仁介にも大島組を継ぐ気はなかった。本多は大島四天王の筆頭でありながら跡目争いに見向きもせず多数の配下を引き連れて独立。土建業本多組を旗揚げする。次第に大島組を凌ぐ勢いを持ち、戦後、本多会となってからは神戸を中心に全国へと侵攻した。 神戸にはこうした流れとまったく別の道を歩んだ組織も多数存在している。そのひとつが嘉納健次の築いた「山丁」である。嘉納は清酒の蔵本の長男であり、いわゆる名家の子息だ。そこから派生したのが神戸の名門組織五島組だった。五島組の勢力は強大で、戦後すぐの頃の三宮を完全に支配していたほどだった。当時の組織はみな三宮進出をもくろんだが、ことごとく失敗した。その後、神戸を制した山口組も、当時は中小組織の一つであり、山口組組員が三宮に足を踏み入れると、「ここは山口組が来るような場所ではない」と一喝されたほどだという。近隣には菅谷政雄(のち山口組)率いる国際ギャング団や、のちに松浦組を結成した松浦繁明、山側には番町のわさび会などが虎視耽々と狙っていたが、五島の牙城はなかなか崩れなかった。神戸の抗争のもう一つの流れは、この五島の地盤を巡る戦いである。その後、昭和二十二年に五島初代大野福次郎が没すると、五島組は三派に分裂。分散化した隙に多くの組織が入り込んだ。 谷崎組もそのひとつで、少数ながら新開地周辺を根城に活動を続けていた。山口組との抗争で解散したが、
その後旧勢力を糾合し新生会が発足する。しかし、連合的な組織運営が裏目に出て内部抗争により再び解散。当時弱冠二十歳だった大森匡晃を盟主として忠成会が結成された。現在も忠成会は独自の組織体型を維持し、神戸に地盤を形成しており、中小組織ながらその武闘派ぶりで知られる。 山口組組員たちも、忠成会に対しては一目も二目も置くほどで、最近も野球賭博がらみの揉め事のさい、比類なき暴力性を発揮した。拳銃を使わず急所を一突きする一人必殺のスタイルは、組織の姿勢を示すものではないか。関西ヤクザは一様に「あそこに下手に手を出したら大火傷をする」と言う。現在の神戸は山口組のお膝下とあって、忠成会や松浦組など少数の組織を除き山菱の代紋一色という状況になっている。頻発した抗争はどれも戦後の組織再編の過程で必然的に起こったものであり、一通りそれらを通過した今の神戸は、勢力図の安定という点では全国でも有数の土地といえる。
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家庭用防犯


CR-
商品名 防犯用ペイントボール発射装置 チェイサーCR- 型
価格 9,870円 (税込)

長さ:約180mm×直径:28mm (突起は除く)
重量 約180g (炭酸ガスボンベ、ペイントボール装填時)
有効射程距離 約15m (ペイントボール到達距離/約50m)
ペイントボール 直径:約17mm
炭酸ガスボンベ 長さ:約64mm×直径:約18.6mm
付属品 ・炭酸ガスボンベ・・・・・2本
・ペイントボール・・・・・・3個
・ピストンセット棒・・・・・1本
・取り扱い説明書、保証書

新発売
徹底して無駄を無くし、小型・軽量に仕上げたチェイサー況燭
操作方法もいたってシンプル。
イザと言う時には限られた時間内で迅速に対応する為の必需品です。
防犯ショップアーマー

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